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心優しき “マダイの横綱”よ、安らかに 釣りタレントの“頂点”永井裕策さんと別れ

今月8日、本紙APCの永井裕策さんが76歳で亡くなった。“マダイの横綱”として知られ、各メディアで活躍。昭和から平成にかけて“釣りタレント”として頂点を極めた。本紙で執筆中の“弟子”芝真也、国友博文の両氏、林悠二APCが偉大な釣り人を悼む。

 【自分よりも人のこと】

 誰よりも釣りに対して真剣に向き合い、マダイを愛してやまなかった。

 神奈川・大船で自ら切り盛りしていた居酒屋「だるまや」で仕事中に突然倒れ、救急搬送されたのが2年前。2度の心肺停止という危機的状況からも、釣り場で何度となく見せてくれた、どんな悪条件にも負けない、粘り強い気力と根性で、見事に乗り越えた。

 常に、病床の奥さまのことを気遣い、「いつ退院してきても、帰ってくる場所が必要」と、未来を考えペースメーカーをつけることを決断。店も閉めて自宅療養することを選んだ。自分のことより、人のことを大事に考える優しい人だった。

 昨年から、コロナで会う機会がつくれず「釣りに行きたいよ。元気になるから、連れて行ってくれ」と会った時、いつも話していた。また一緒に釣り場に立てることを、切に願い復活を期待していたが、約束を果たせなかったことが、悔やまれます。永井さん、これまでのお導きに心から感謝し、安らかに永遠の眠りにつかれることをお祈りいたします。(芝 真也)  

 【「謙虚でいろ」が口癖】

 マダイを持つえびす顔がトレードマークだった。テレビ、雑誌の取材ではプライベート以上にスタッフや船長に気を使うから、永井さんの周りはいつも笑顔が満ちあふれていた。

 「天狗(てんぐ)になるな、常に謙虚でいろ」が口癖だった。そして「一匹の価値」を求めて、プロ魂を感じる場面には何度も遭遇した。

 テレビ番組の現場。時間だけがいたずらに過ぎて「再取材」の文字が浮かぶ。永井さんはタックルボックスをあさると、気を発して“ゾーン”に入る。テレビクルーも諦めムードの中、永井さんがこの日一番の笑顔で振り返る。ムーチングロッドは満月のように曲がり、本命のマダイが魚信を送ってきた。こんな奇跡に近い結果も懐かしい。

 「もしや、これも演出だったんですか?」 永井師匠!天国でも永井リグでデッカイマダイを釣ってくださいね。(国友 博文)

 【研究熱心「永井リグ」】

 出会いは30年ほど前。20年間続けた「スポニチ100万円懸賞金タグ付き釣りダービー」で、相模湾で10匹放流中の第1号マダイを釣り上げ10万円を贈呈した時だった。沖釣り全般に精通する彼。スポニチAPC(アングラーズペンクラブ)の会員を勧めるが「文章は苦手で…」と肩透かし。共に釣行を重ねるうちに打ち解けて5年後、メンバーに加わった。

 スポニチが組織する東日本釣宿連合会所属の船宿は当時100軒。紙面で紹介された船宿はファンが殺到。中でも沖釣り分野を担当した永井さんのマダイ釣りテクニック、ハウツーものは大人気だった。持ち前の研究熱心さから仕掛けに水中ウキを配した「永井リグ」を考案し業界でも脚光を浴びた。スポニチ釣り大会では審査委員長を務め講評など運営に尽力。並行してテレビ出演、各種雑誌執筆、松竹映画「釣りバカ日誌」で釣り指導として名を連ねるなどまさに八面六臂(ろっぴ)。もう一度一緒に竿を並べたい――大切な人とのお別れ。安らかにお休みください、合掌。(スポニチAPC・林 悠二)

 永井 裕策(ながい・ゆうさく)1944年(昭19)7月17日生まれ、長野県出身。マダイ釣りの“横綱”として新釣法を確立。シマノをはじめ各釣り具メーカーのインストラクターなどを歴任。本紙をはじめテレビなど各メディアで活躍した。映画「釣りバカ日誌」(シリーズ6〜12)の釣り指導も担当した。